――趣味が高じた『めん舞踏会(打とう会)』の始まり
趣味は、最初はうどん打ちから始めて、今は蕎麦とラーメンもやってます。何故この世界に入ったかと言うと、小さい頃、母がよく手打ちのうどんを打ってもらってたんです。それは当然おいしかったんですけども、年で15年ぐらい前に、打つのもうできないって言われたんで、じゃあそれだったら私が打つって言うことで、最初うどん打ちから始めたんです。それから蕎麦も打つようになって、今ではラーメンもってなりました。
――いろいろ人に食べてもらうのが好き
なぜこの3種類打つかっていうと、いろいろ、人に食べてもらうのが好きなんです。自分で打って食べるっていうよりも。そうすると、うどん、蕎麦、ラーメンで好む世代が違うんで、ラーメンは比較的若い人、うどんは子どもも食べます。お蕎麦って言うとどっちかって言うと年配の方が多いので、その3つやっとくと、意外とすべての年代層カバーできる、全部ですからね。ほぼほぼ(笑)。ダンスの年齢層以上にカバーしています(笑)。
――胃袋を掴むダンス教室?!
パスタも始めたんですけどね。利恵先生が「やめてくれ」「外で食べる楽しみを奪わないでくれ」って言うことで、パスタは自粛してます。うちの教室に来ていただいた方には、皆さんにも、ダンスやってる方、生徒さんにもたまに振る舞ったりしてます。
蕎麦アレルギーにはちゃんとほかの、うどんとかプレゼントしたりしてます。そちらも楽しみにしてください。そんな感じですかね。特典です。「胃袋を掴むダンス教室」です。
うちのホームパーティーとか、基本的に、手作りのお料理のそういううどんとか、麺とかもお出ししますので、そちらもお楽しみにしていてください!
――昔の食堂時代の影響から麺打ちを
実は、おふくろが昔ここ建て替え前に食堂やってたんです。それで引退して、うちの姉がやんないから私が自分で始めたんです。美味しったんでしょうね。だから飲食業許可もあります、何かの時に役に立つっていうか取っといて損はないと思ったんです。
その前一番最初はラーメン屋だったんです。それが食堂になって、商店街の場所がいいですしね。駅近いし、行列のできるお店だったんです。昔はファミレスがない頃はうちは深夜営業専門だったんです。ここが4号線だったじゃないですか。すごかったみたいです、トラックの運転手の通りですもんね。深夜営業がなかった時代だから、夜、屋台みたいな感じで出したんです。そしたらトラックが何十台と停まって、警察が来て「だめだよ停めちゃ」。でもそんなうるさくないんで温かい時代でした。お客さんが配達の車だから、そのまま魚持ってったりするんです。いろいろ果物もらったり、わけてもらったり、良かったです。ゆるくていい時代でした。私が麺打ちするようになったのは、そういうの見てたからそんなのも影響あんでしょうね。
――医学部目指していた食堂の息子がダンスの先生に?!
だって、実は、医学部目指してたんです。下手したんで、ダンスやってますけど。(笑)ダンスにのめり込んじゃったんですかね。皆さんそうですよ。ダンスをやっちゃうと、ハマっちゃってなんでも(笑)。月1でやろうと言っていて、麺の日をやっています。「麺舞踏会」です。(鉄雄先生談)
「よく奥さんやらしておくね」って私が褒められるんですよ(笑)。ただうちも、実家がドライブインとかやってたから、そういう食べ物を出してたとこだったんで、手伝いもしたから、そんなに、嫌じゃないんでしょうね。慣れてたというか、今弟が那須塩原でラーメン屋やってます。(利恵先生談)
――みんな教室で楽しく過ごしてるの見てると気分がいい
2人とも実家が食べ物屋さんだったから、みんな教室で楽しく過ごしてるの見てると、ダンスもそうなんですけど、気分がいいんです。みんな楽しそうにしていて、そこが違いますかね。あんまりピリピリしてないって言うところですかね。