――学生時代からダンス一筋だった
私は、短大卒だったので保母さんしてたんです。保母しながらプラス2年間できるっていう学生ダンスの約束があったので、OGとして2年やって、その後、習ってた先生に声をかけられ「プロにならないか」って2人で一緒に誘われたのがきっかけです。そこから夫婦一緒にダンスの世界です。(笑)
――舞踏研究会にて社交ダンスと出会う
短大生の私は女子だけだったのにダンス部があったんです。何故女子だけでダンスができるかなと思ったら、リーダー校っていうのが決まっている学校があって、そこの男子とやりますよって言う「舞踏研究会」だったんです。「舞踏研究会」であってダンス部って言わないんです。舞踏っていうとわれわれダンスだったんですよね。ダンスっていろいろあるじゃないですか。略して「舞研」って言ってます。今でもそうですよね。
――競技ダンスと衣装・化粧・髪型にのめり込む
競技だから順位がつくのでやっぱみんな1番とりたいですから、スピードと技か、1番とるために、どういう踊りをすればいいのかっていうことの研究ですね。その研究に明け暮れていました。もちろん身体能力、自分の身体能力を上げることと、ルーティーンとか、ルーティーンの組み合わせを考えて、より自分が使えるフィガーを、より効果的な見せ方とか、そういうことばっかり考えてました。
あと女性は、衣装と、アクセサリーと、お化粧と、髪型と、多分今も変わらないと思います。試合に行って、素敵な髪型してる人を見て、「どこでやったんですか」とか聞いたりします(笑)。先輩からお化粧の仕方教わったり、衣装なんかは先輩のお下がりを借りたりして、いただいたりしていました。
――今でも学生競技ダンスは盛んだがプロは厳しい世界
今でも変わらず、東京、関東だと、東武戦、東都戦とか、全日本戦、全日本選抜戦って出ているそうです。学校は、今でも、大学の大きな大会から小さな大会まであるようで、メールで、大学の舞研からのメールで案内が来たりして、頑張ってます。
そこからプロになる方はたくさんは居ないです。全体の学生から10人ぐらいとかプロになる人は少ないです。どうなんだろう、予想だと毎年10カップルぐらいじゃないかなと思います。今少なくなってるから、厳しい世界です。
――ダンス講師・先生になるには
先生になる経路としては、私たちの感覚だと、こういうダンス教室に属して、なおかつ、先生としての資格を取るのが私たちの時代のルートでした。教師試験って言うのがある資格なんです。国家試験じゃないから、なくてはできないってもんじゃないんですけど、一応私たちの業界資格として、取らないとだめよって私たちの時代は言われてました。でもそれも、今は変わってわりと踊れる人を見つけて「教えてください」って人が来たらもう先生と生徒成立しちゃうような時代です。特にないと違反とかそういうのはないです。
――プロとアマチュアの違い
「生徒さんが生徒を持っている」とかって意外と居たりします。本来のプロって言うのは、それで生計を立てている人が本当の意味で、なんの世界でもそうですけどね。みんなアルバイトとか小遣い稼ぎでやっている人も、先生って言えば先生なんだろうけど、本来の意味とは違いますよね。プロは、競技会出れば、賞金も出ますし、いくらでもないですけどね。でもそういうことで、プロとアマチュア違いがあるんです。
――卒業後10年間は教室講師として勤める
実は最初に学生で、習いに行ってた教室に、約10年勤めてました。そこのスタッフとして2人ともです。よく「飽きない?」って言われるんです(笑)。「そんなに長く居て飽きないの?」って(笑)。今で言うソーシャルディスタンスが上手いんです。(笑)
――思い切って教室を開講
ゆくゆくは出したいイメージはあったんですね。どの先輩見ても、教室を出すために辞めていく先輩をいっぱい見てきたので。私たちもそういうふうになれるのかなっていうのはずっと思ってました。
それで、教室を出すのはわりと突然でした。子どもが小さかったのもあるし、まだまだ子どもの年齢では厳しいなっていう時に、そういうタイミングが巡ってきたのです。そうなったので思いきって、自分の教室を持つっていうふうに飛び込んじゃいました。